叔父のお陰で長州閥首脳に取り入り、日露戦争勝利の栄誉に恵まれた山縣有朋の側近
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照桂 太郎
1848年 〜 1913年
50点※
桂太郎の年表
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1848年
長州藩の中級藩士桂與一右衛門の嫡子桂太郎が萩城下にて出生
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1860年
宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
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1860年
桂太郎が長州藩選鋒隊に入隊
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1863年
長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍
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1863年
長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進
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1864年
桂太郎が長州藩世子毛利元徳の小姓役に任じられる
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1864年
禁門の変、毛利元徳に随って備後鞆津まで従軍
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1864年
徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行
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1864年
馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる
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1864年
高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)
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1865年
高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回
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1865年
禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握
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1865年
徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令
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1866年
薩長同盟
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1866年
高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)
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1866年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866年
徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉
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1867年
大倉喜八郎が大倉銃砲店開業、官軍御用達となり巨利を得る
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1867年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867年
大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す
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1867年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867年
王政復古の大号令
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1868年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868年
奥羽越列藩同盟が成立
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1868年
板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居
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1868年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869年
土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結
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1869年
王政復古の賞典禄下賜、250石を賜る
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1869年
版籍奉還
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1869年
奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑
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1869年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1869年
大村益次郎が京都三条木屋町の旅館で会食中に急進的な兵制改革に反発する元長州藩士8人に襲われ大阪にて死去(享年46)、郷里の山口市鋳銭司に葬られる
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1870年
桂太郎がドイツ留学
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1871年
明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設
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1871年
廃藩置県
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1872年
明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置
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1872年
山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走
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1872年
山縣有朋が初代陸軍卿に就任
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1873年
徴兵令布告
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1873年
明治六年政変
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1873年
内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)
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1873年
最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる
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1873年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1873年
桂太郎がドイツ留学から帰国
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1874年
桂太郎が陸軍大尉に任官し山縣有朋の側近となる
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1874年
佐賀の乱
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1874年
西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野
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1875年
桂太郎がドイツ駐在武官に補され赴任
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1875年
江華島事件
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1876年
大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結
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1876年
廃刀令布告
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1876年
秩禄処分
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1876年
神風連の乱
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1876年
秋月の乱
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1876年
萩の乱
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1877年
西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)
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1877年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878年
竹橋事件
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1878年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878年
桂太郎がドイツから帰国
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1878年
参謀本部設置
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1879年
伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
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1881年
大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協
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1882年
軍人勅諭公布
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1882年
朝鮮で壬午事変
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1882年
集会条例改定、自由民権運動が激化
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1884年
大山巌陸軍卿を団長とする軍事調査団が渡欧、随員の桂太郎・川上操六がドイツ式陸軍建設を推進
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1884年
朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援
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1885年
第一次伊藤博文内閣発足、大山巌陸相のもと陸軍次官就任
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1886年
臨時陸軍制度審査委員会発足、桂太郎・川上操六・児玉源太郎(陸軍三羽烏)が軍制改革を牽引
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1887年
保安条例
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1887年
鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代
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1888年
黒田清隆内閣発足
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1888年
鎮台制を師団制に改編
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1889年
大日本帝国憲法発布
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1889年
川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進
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1890年
第一次山縣有朋内閣発足
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1890年
第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得
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1890年
教育勅語発令
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1890年
第一回帝国議会開催
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1891年
第一次松方正義内閣発足
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1891年
桂太郎が名古屋の第三師団長に転出
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1891年
内村鑑三不敬事件
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1892年
第二次伊藤博文内閣発足
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1893年
海軍軍令部設置
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1894年
朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発
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1894年
日清戦争勃発、山縣有朋の第1軍旗下の第三師団長として出征
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1895年
下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立
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1895年
三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求
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1895年
台湾総督府設置
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1895年
朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件
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1896年
桂太郎が第2代台湾総督就任
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1896年
露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得
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1896年
第二次松方正義内閣発足
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1897年
朝鮮が大韓帝国と改称
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1898年
列強による清の植民地争奪競争が激化
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1898年
第三次伊藤博文内閣発足、陸軍大臣就任
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1898年
第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足、陸軍大臣就任
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1898年
第二次山縣有朋内閣発足、陸軍大臣就任
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1898年
清で康有為の戊戌の変法が挫折
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1899年
地租増徴
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1899年
文官任用令改定
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1900年
治安警察法公布
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1900年
軍部大臣現役武官制制定
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1900年
北清事変
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1900年
立憲政友会結成
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1900年
第四次伊藤博文内閣(政友会)発足、桂太郎が陸軍大臣就任
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1901年
井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫
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1901年
第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる
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1901年
北京議定書調印
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1901年
ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立
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1902年
第一次日英同盟協約締結
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1903年
ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂
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1904年
仁川沖海戦
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1904年
日露戦争開戦
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1904年
伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣
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1904年
第一次日韓協約締結
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1904年
遼陽会戦
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1905年
旅順攻略
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1905年
血の日曜日事件~ロシア革命が始まる
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1905年
奉天会戦
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1905年
日本海海戦
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1905年
第二次日英同盟協約締結
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1905年
ポーツマス条約調印
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1905年
桂太郎政府がアメリカと桂・タフト協定
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1905年
日比谷焼打事件
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1905年
大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立
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1906年
第一次西園寺公望内閣(政友会)発足
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1906年
第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任
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1906年
井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化
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1906年
南満州に関東都督府設置
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1906年
南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる
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1907年
韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結
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1907年
第一次日露協約締結
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1908年
第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足
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1908年
東洋拓殖会社設立
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1909年
アメリカが満鉄の中立化を提唱
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1909年
三井合名会社設立
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1909年
伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)
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1910年
大逆事件
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1910年
伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
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1910年
鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立
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1911年
不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)
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1911年
桂太郎が公爵を受爵し貴族院議員就任
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1911年
工場法制定~初の労働者保護法
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1911年
警視庁に特別高等課設置
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1911年
第二次西園寺公望内閣(政友会)発足
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1912年
孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡
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1912年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912年
再組閣を期す山縣有朋が直系の桂太郎を内大臣に押込める
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1912年
二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す
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1912年
第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足
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1913年
桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任
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1913年
国民党から多数が桂太郎の同志会に奔り残った犬養毅が党首となる
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1913年
第一次護憲運動、大正政変
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1913年
第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足
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1913年
軍部大臣現役武官制緩和
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1913年
桂太郎が死去(享年65)、加藤高明が同志会総理を継ぐ
年
桂太郎と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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