剣術道場主から久坂玄瑞に啓発され「土佐勤皇党」を結成、吉田東洋暗殺で藩政を握り長州藩と連携して「破約攘夷」運動を牽引したが下克上を嫌う山内容堂に誅殺され土佐藩は中央政局から脱落
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照維新
武市 半平太
1829年 〜 1865年
90点※
家系・子孫
- 武市氏は、土佐長岡郡吹井村の豪農であったが、武市半右衛門が郷士に採り立てられ功あって白札格に昇格、家禄は51石と僅かながら大地主で富裕だった。4代末の武市正恒は能書家で古典研究を趣味とし、妹の菊は「万葉集古義」の著者として高名な鹿持雅澄の妻、好学な家庭環境に育った嫡子の武市半平太は文武に秀でた勤皇青年へ成長した。武市半平太が20歳のとき父母が共に急逝し悲嘆した祖母が精神を病み投身自殺を図り、世話人を必要とした半平太は郷士島村源次郎の長女富子を娶った。富子の叔父島村寿之助は槍術師範で、剣豪の武市半平太は「入道様」と呼んで意気投合し共同で道場を経営した。富子は上品な美人で武市半平太は有名な愛妻家であったが子宝に恵まれず、武市の切腹後に富子が甥の子の半太を養子に迎え武市家を継がせた。武市半太は、養父の偉業に関わらず爵位はもらえず、武市半平太の土佐勤皇党から中岡慎太郎の陸援隊へ転じ維新後に宮廷政治家に栄達した田中光顕の援助を受けて医師となり高知県で開業したといわれる。
武市半平太と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
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維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
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維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
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