大蔵官僚から政党政治家に転身、民政党総裁として首相に上り詰め金解禁と軍縮に取組むが、凶弾に斃れた「ライオン宰相」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照濱口 雄幸
1870年 〜 1931年
60点※
濱口雄幸の年表
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1870年
土佐藩足軽身分の水口胤平の三男水口雄幸(濱口雄幸)が長岡郡五台山にて出生
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1889年
濱口雄幸が土佐安芸郡の豪農濱口義立の一人娘夏子の婿養子となる
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1895年
濱口雄幸が帝国大学法科(東大法学部)を卒業(生涯の盟友幣原喜重郎と同級生)
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1895年
濱口雄幸が高等文官試験に合格し大蔵省入省
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1897年
濱口雄幸が大蔵大臣官房会計課長に昇進
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1898年
濱口雄幸が大蔵省の上司と衝突し地方へ左遷される
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1902年
濱口雄幸が東京の外務省本省に復職するが傍流を歩む
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1904年
日露戦争開戦
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1905年
ポーツマス条約調印
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1906年
第一次西園寺公望内閣(政友会)発足、阪谷芳郎が大蔵大臣就任(松田正久と途中交代)、若槻禮次郞が大蔵次官就任
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1906年
南満州に関東都督府設置
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1906年
南満州鉄道会社(満鉄)設立、後藤新平が初代総裁就任
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1906年
大蔵省の濱口雄幸が後藤新平から満鉄にスカウトされるが謝辞
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1908年
第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)、桂太郎が大蔵大臣兼任、若槻禮次郞が大蔵次官就任
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1909年
伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)
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1910年
伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
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1911年
第二次西園寺公望内閣(政友会)発足、山本達雄が大蔵大臣就任
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1912年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912年
第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、若槻禮次郞蔵相・勝田主計大蔵次官、後藤新平逓信相・濱口雄幸逓信次官
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1913年
桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任
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1913年
第一次護憲運動、大正政変
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1913年
第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足、高橋是清が大蔵大臣就任
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1914年
第二次大隈重信内閣(同志会)発足、若槻禮次郞蔵相(武富時敏と途中交代)・濱口雄幸大蔵次官
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1914年
第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
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1914年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915年
衆議院総選挙で与党同志会が大勝、後藤新平に随い大蔵省を退官した濱口雄幸が高知県から初当選
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1915年
大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告
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1915年
大浦兼武の選挙汚職事件により与党同志会の加藤高明外相・若槻禮次郞蔵相・大浦兼武内相が辞任
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1916年
吉野作造が民本主義を提唱~大正デモクラシーの萌芽
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1916年
寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足
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1916年
非政友会政党が合同し憲政会発足・同志会の加藤高明が総裁に就任
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1918年
原敬内閣(政友会)発足
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1918年
第一次世界大戦終結
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1919年
パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
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1921年
バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる
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1921年
原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ
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1921年
高橋是清内閣(政友会)発足
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1921年
アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる
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1921年
加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行
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1922年
陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
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1922年
加藤友三郎内閣(海軍)発足
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1923年
関東大震災
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1923年
第二次山本権兵衛内閣(海軍)発足
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1924年
清浦奎吾内閣(貴族院)発足
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1924年
護憲三派による第二次護憲運動
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1924年
加藤高明内閣(憲政会)発足、濱口雄幸が大蔵大臣就任
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1925年
日ソ基本条約調印、国交樹立
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1925年
治安維持法制定
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1925年
高橋是清に代わって田中義一が政友会総裁就任
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1925年
普通選挙法制定
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1926年
加藤高明が首相在任中に死去(享年66)、与党憲政会を継いだ若槻禮次郞が加藤内閣を受継ぐ
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1926年
第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足、濱口雄幸が蔵相就任(早速整爾・片岡直温と途中交代)
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1926年
濱口雄幸が蔵相から内相に転任
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1926年
孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始
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1926年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1927年
片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生
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1927年
蒋介石が南京国民政府を樹立、第一次国共合作崩壊
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1927年
田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足
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1927年
憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が発足、濱口雄幸が初代総裁就任
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1927年
高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職
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1928年
陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる
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1928年
蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了
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1928年
張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる
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1928年
張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化
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1928年
吉田茂が岳父の牧野伸顕のツテで田中義一首相に対中強硬論(大陸派)を直訴し外務次官就任
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1928年
石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任
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1929年
永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足
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1929年
濱口雄幸内閣(民政党)発足
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1929年
軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆
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1929年
世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
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1929年
農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける
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1930年
金解禁(金本位制復帰)
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1930年
幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行
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1930年
鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる
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1930年
濱口雄幸首相銃撃事件
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1931年
幣原喜重郎外相が116日間首相代理を務める
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1931年
濱口雄幸に代わって若槻禮次郞が民政党総裁就任
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1931年
第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足
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1931年
濱口雄幸が死去(享年61)
年
濱口雄幸と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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