連合艦隊先任参謀として日露戦争の作戦を担い世界最強の太平洋艦隊・バルチック艦隊を撃破した帝国海軍随一の奇才にして『坂の上の雲』の主人公
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦前
秋山 真之
1868年 〜 1918年
70点※
家系・子孫
- 秋山氏は海賊衆を率い中世の瀬戸内海を支配した河野氏の末裔を称し、海軍人となった秋山真之は海賊の子孫を自負したといわれる。壇ノ浦合戦で源義経軍を勝利へ導いた河野通信、元寇の勇将で海音寺潮五郎著『蒙古来る』主人公の河野通有ら猛将を輩出したが、小早川隆景の伊予出兵で毛利元就の軍門に降り長宗我部元親に破れ伊予の支配権を失った。時宗開祖の一遍上人も河野一族である。さて、秋山真之は松山藩(久松松平氏)の下級藩士秋山久敬の五男に生れた。長男の秋山則久が家督を継いだが精神を病み、三男の秋山好古が当主となった。陸軍人の秋山好古は9歳下の秋山真之を東京へ呼んで海軍兵学校へ進学させ、自身は日清・日露戦争の活躍で陸軍大将に栄達し「日本騎兵の父」「最後の古武士」と称された。次男の秋山正牟は岡家へ、四男の秋山道一は西原家へ入嗣している。秋山真之は日露戦争出征前に35歳で季子と結婚し立て続けに四男二女をもうけた。大変な子煩悩で、よく子供連れで散歩に出掛けたという。なお兄の秋山好古も二男五女の子沢山である。日露戦争後の秋山真之は精神を病み大本教に没入、海軍中将で軍務を退き、盲腸炎の手術を拒否したため49歳の若さで病没した。秋山真之は子供を軍人にしたくなかったようで、嫡子の秋山大に「僧になれ」と言っていたが大は本当に僧侶になり、他も軍人にならなかった。ただ、次女の宜子は海軍中佐の大石宗次に嫁いでいる。
秋山真之と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
渋沢 栄一
1840年 〜 1931年
100点※
徳川慶喜の家臣から欧州遊学を経て大蔵省で井上馨の腹心となり、第一国立銀行を拠点に500以上の会社設立に関わり「日本資本主義の父」と称された官僚出身財界人の最高峰
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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