桂太郎側近の大蔵官僚として蔵相となり、桂新党を承継して憲政会総裁、首相に上り詰めたが、満州事変にお墨付き与える大失策を犯した元祖官僚政治家
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦前
若槻 禮次郞
1866年 〜 1944年
30点※
家系・子孫
- 若槻禮次郞が生れた奥村家は松江藩の足軽身分で貧乏だった。東京進学を志す若槻禮次郞は叔父(実母の弟)の若槻敬に支援を仰ぎ婿養子入りを条件に学資を獲得、帝国大学法科(東大法学部)に進学後約束どおり敬の一人娘トク子に婿入りした。男爵を継いだ一人息子の若槻有格は、東大経済学部を出て日本銀行へ進んだ。
若槻禮次郞と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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