上野守護代長尾氏を滅ぼして西上野を掌握し、山内上杉氏を承継した上杉謙信に属して北条氏康・武田信玄の猛攻を凌ぎ切った「上州の猛虎」、自らの死で謙信の関東侵出は頓挫し後嗣の長野憲業は信玄の猛攻に晒され滅亡
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長野 業正
1491年 〜 1561年
60点※
家系・子孫
- 長野氏は、平城皇孫で『伊勢物語』主人公の在原業平の後裔を称した古豪で領地の上野群馬郡長野郷から名字を採ったとされる。上野を領有した関東管領山内上杉氏と守護代長尾氏(白井長尾家・総社長尾家)に仕えて西上野の土豪「箕輪衆」を束ね、長尾景春の乱で長野為兼・立河原の戦いで長野房兼が戦死し衰退したが、山内上杉顕定の執事で箕輪城に拠った長野業尚と嫡子の憲業が関東公方足利氏・山内と扇谷の両上杉家・越後と上野の長尾家の内紛(享徳の乱・長享の乱・永正の乱)に乗じて盛返した。憲業の嫡子長野業正は、扇谷上杉朝良の娘を娶り12人の娘を土豪に縁付ける婚姻政策で勢力を伸ばし、惣社長尾顕景・白井長尾景誠(嫡子吉業の舅)を滅ぼして西上野を掌握し河越夜戦で吉業を喪いつつも支配を堅持、山内上杉憲政を保護した上杉謙信に臣従し老骨に鞭打って死ぬまで武田信玄・北条氏康の猛攻を凌ぎ切った。が、自らの死が上杉方諸豪の動揺を招き「これで上野を手に入れたも同然」と勇んだ信玄は直ちに2万の大軍を率い上野へ侵攻、後を継いだ次男の長野業盛は謙信の来援を得て撃退するが次第に追詰められた。鷹留城主長野業氏(業正の庶兄か)が戦死し、厩橋城主長野方業(業正の叔父)も滅ぼされ、遂に箕輪城陥落となり業盛は自害し上野長野氏は滅亡した。業正庶子の長野伝蔵(業実)が生母の縁故を頼って井伊直政に仕え知行4千石の重臣となり、井伊直弼の謀臣長野主膳はその子孫とする説があるが信憑性は乏しい。
長野業正と同じ時代の人物
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戦国
織田 信長
1534年 〜 1582年
140点※
中世的慣習を徹底破壊して合理化革命を起し新兵器鉄砲を駆使して並居る強豪を打倒した戦国争覇の主人公ながら、天下統一を目前に明智光秀謀反で落命し家臣の豊臣秀吉・徳川家康に手柄を奪われた悲劇の英雄
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戦国
毛利 元就
1497年 〜 1571年
100点※
安芸の小領主の次男坊から権謀術数で勢力を拡大、息子の吉川元春・小早川隆景を両翼と頼み、厳島の戦いで陶晴賢を討って大内家の身代を奪取、月山富田城の尼子氏も下して安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・備中を制覇した戦国随一の智将
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戦国
徳川 家康
1542年 〜 1616年
100点※
旧主今川義元を討った織田信長と同盟して覇業の一翼を担い、豊臣秀吉没後秀頼を滅ぼして天下を奪取、信長の実力主義・中央独裁を捨て世襲身分制で群雄割拠を凍結し265年も時間を止めた徳川幕府の創設者
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