1880年 〜 1950年
10点※
穏健派陸軍人として東條英機内閣の後継首相に担がれたが、陸軍との妥協を図るうちに被害が拡大、戦局破綻後に退陣した不作為の重罪人
1582年 〜 1602年
0点※
ねねの甥で豊臣秀吉の養子となるが秀頼誕生で五大老小早川隆景に入嗣、関ヶ原合戦の寝返りで徳川家康に勝利を献上し備前岡山藩55万石に栄転するも僅か2年後に21歳で発狂死し無嗣改易となった精神薄弱児
1838年 〜 1922年
奇兵隊幹部から運良く陸軍長州閥の首領に納まり汚職にまみれながら徴兵令を敷き外征のための軍事国家建設と政党弾圧に邁進、統帥権・軍部大臣現役武官制で文民統治を抹殺した軍部暴走の元凶
1875年 〜 1946年
山本権兵衛の申送りで軍令部総長となり満州事変から終戦まで海軍に君臨、軍拡反米英の「艦隊派」首領として海軍を日独伊三国同盟・対米開戦へ導き特攻作戦も発動した皇族元帥
1884年 〜 1948年
陸軍統制派の最年長者として対米開戦時の首相に担がれ、ヒトラー並みの独裁者に仕立てられ「生きて虜囚の辱め」を受けた生真面目で陰険な暴走陸軍人
1893年 〜 1976年
東條英機と共に石原莞爾・武藤章から主導権を奪い、無謀な米ソ二正面作戦を唱え亡国の対米開戦を主導した陸軍暴走の牽引役
1553年 〜 1625年
-20点※
石田三成の甘言に釣られ関ヶ原の戦いで西軍総大将に担がれるも家中すら統率できず小早川秀秋・吉川広家の寝返りで徳川家康に勝利を献上、本領安堵の偽約にすがり鉄壁の大阪城を明け渡すが祖父毛利元就が築いた120万石を長州藩36万石に削られ重臣を誅殺して保身を図った戦国一の馬鹿殿