1535年 〜 1619年
80点※
薩摩・大隅を切り従え日向の伊東義祐・肥後の相良義陽・肥前の龍造寺隆信・大友宗麟を撃破した島津四兄弟の次男坊、九州制覇の野望は豊臣秀吉に打砕かれたが、朝鮮役の泗川合戦・関ヶ原「島津の退き口」で勇名を馳せた西国最強武将
1537年 〜 1626年
本願寺顕如に軍権を託され11年に及ぶ石山合戦を凌ぎ切り散々に織田信長を苦しめたが降伏後は武力放棄・局外中立を堅持し浄土真宗の法灯を護った本願寺の守護者、子孫の刑部卿家は西本願寺坊官として繁栄
1546年 〜 1604年
播磨小寺家重臣の嫡子に生れ、織田方の急先鋒として毛利攻めを牽引、本能寺事変後の中国大返しで豊臣秀吉を天下人に押上げるも智謀を警戒されて不遇に泣き、関ヶ原合戦中に漁夫の利を狙い九州北半を征するが東軍完勝で挫折、心優しき天才軍師にして福岡藩52万石の祖
1560年 〜 1628年
14歳で中条流の剣豪を斬殺し戸田一刀斎に入門するが師匠も圧倒、武者修行に出て33戦全勝し「払捨刀」「夢想剣」の極意を得て一刀流を創始するが相伝者の小野忠明を徳川家康に推挙し消息を絶った天才剣士
1561年 〜 1602年
武田の精鋭と「赤備え」を率いた「徳川四天王」の出世頭にして寝返り工作を担った関ヶ原勝利の殊勲者、近江佐和山藩18万石を継いだ次男井伊直孝が将軍徳川秀忠・家光の信任を得て譜代筆頭彦根藩30万石を確立
1571年 〜 1646年
父柳生石舟斎の「無刀取り」に感服した徳川家康に召抱えられ大和柳生藩1万2500万石の大名に栄達した将軍家兵法指南役「江戸柳生」の家祖にして『兵法家伝書』で「活人剣」「治国・平天下」を説いた「日本兵法の総元締」
1824年 〜 1869年
木戸孝允の招聘で長州藩に出仕し適塾仕込みの洋式兵学と武器輸入で近代的軍隊を創建、浜田城制圧や上野彰義隊との戦争を指揮し維新後は徴兵制・近代的国軍建設を進めたが暴漢に襲われ横死した「日本陸軍の創始者」
1842年 〜 1916年
従兄の西郷隆盛のもと薩摩藩「精忠組」の維新運動に身を投じ大砲隊指揮官として戊辰戦争で活躍、日清・日露戦争で司令官の大任を果し武勲と名声を極めた明治陸軍の首魁
1848年 〜 1899年
薩摩軍閥のホープとしてモルトケ直伝のドイツ式軍制改革を主導した「近代陸軍の創始者」にして日清戦争の作戦(軍令)を担った「作戦の神様」
1861年 〜 1923年
山本権兵衛を支えて海軍の軍政を取り仕切り、優れた決断力で国際協調路線・軍縮に舵を切った頭脳明晰なエリート海軍人