1872年 〜 1951年
60点※
加藤高明・若槻禮次郞・濱口雄幸内閣の外相として対英米協調・対中不干渉の「幣原外交」を展開するが満州事変で失脚、戦後首相に担がれるとGHQ命令を粛々実行し「押付け憲法」を受諾したエリート外交官
1918年 〜 1993年
高等小学校卒ながら政策通の「コンピュータ付きブルドーザー」、「日本列島改造論」はオイルショックで頓挫したが日中国交回復と資源外交で従米脱却を追求、金脈問題とロッキード事件で潰された土建行政と金権政治の元祖
1942年 〜 年
「田中角栄の秘蔵子」ながら金丸信に従い経世会の内紛で自民党離脱、「二大政党制」を掲げて2度の政権交代を実現し民主党政権で従米脱却を図るが「国策捜査」で失脚
1522年 〜 1591年
50点※
堺の豪商出身の侘茶の完成者で見方によっては大山師、茶頭として織田信長に出仕し本能寺事変後は豊臣秀吉に仕え「利休道具」の錬金術と「一期一会」の接待術で大名統治に貢献するが突如逆鱗に触れて死罪、子孫の「三千家」は上流社会に憧れる庶民を惹きつけ全国に鼠講を張巡らせて本願寺と並ぶ巨大教団に発展
1528年 〜 1582年
足利義昭の将軍擁立や対朝廷工作、丹波攻略に働いて織田家軍団長に出世したが、本能寺の変で織田信長を弑逆、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れて「三日天下」を失った謀反人の代名詞
1536年 〜 1565年
抗争の末に三好長慶に屈服するも諸侯に通じて三好政権打倒を画策、三好三人衆・松永久秀の謀反に斃れたが塚原卜伝直伝「一つの太刀」で奮闘し最後の意地を示した剣豪将軍、弟の足利義昭が織田信長を裏切り室町幕府は滅亡
1547年 〜 1612年
上杉謙信の力添えで北条氏康の侵攻を防ぎ豊臣秀吉に帰服して常陸水戸藩54万石(属領を含めると80万石)を保った北関東の盟主、嫡子佐竹義宣が石田三成・上杉景勝に内応し秋田久保田藩20万石に減転封
1745年 〜 1833年
「蘭癖」と豪奢で藩財政を破綻させたが曾孫の島津斉彬を薫陶し雄藩薩摩への道を開いた破天荒大名
1828年 〜 1890年
島津久光の文久の改革で幕政を握るも徳川慶喜の暴走を許し公武合体に挫折、徳川家擁護で「薩長土肥」入りを逃したが横井小楠を招き福井藩で民主主義を育んだ「四賢候」
1473年 〜 1526年
40点※
北条早雲を先鋒に駿河・遠江・三河を制圧し海道一の弓取りと称されたが、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲に敗れ、武田信玄・徳川家康に滅ぼされた戦国大名屈指の名門