1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
1896年 〜 1987年
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
1957年 〜 年
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
1894年 〜 1989年
90点※
一代で松下電器産業(パナソニック)を築いた高度経済成長の象徴にして「日本的経営」の完成者、松下政経塾やPHP研究所で政財界人を薫陶した「経営の神様」
1973年 〜 年
オリックスで7年連続首位打者に輝き米国MLBへ渡り10年連続200本安打とゴールドグラブ賞を達成、日米通算4千本安打を突破しMLB殿堂入りも確実視される日本スポーツ界の至宝
1885年 〜 1981年
80点※
石油メジャーと業界への反抗を貫くも潰されず同族経営・薄給ながら猛烈に働く社員団に支えられ民族資本の元売大手「出光興産」を創建、「日章丸事件」で「海賊とよばれた男」
1899年 〜 1965年
大蔵省傍流ゆえに公職追放を免れ吉田茂の「保守本流」を継いで首相に栄達、「寛容と忍耐」で安保問題を封印し従米外交を定着させたが「所得倍増計画」で高度経済成長を彩り貿易立国への道を拓いた「三等重役」の旗手
1901年 〜 1984年
医師出身ながら徹底した工程管理と「新家族主義」の労務政策で世界一のカメラメーカーを創建、複写機・プリンター・デジカメと多角化を成功させデフレ不況下でも成長を続ける国際優良企業「キヤノン」の創業者
1901年 〜 1975年
吉田茂の後継者ながら実兄岸信介の自主外交を踏襲、歴代2位の長期政権を担い沖縄返還を果したが「繊維密約」を反故にし「ニクソン・ショック」で報復された高度経済成長の幕引き役
1906年 〜 1991年
戦後原付自転車「バタバタ」「カブ」で台頭し世界一の二輪車メーカーへ躍進、「町工場のオヤジ」のまま慢性的資金難を乗越え技術者魂を貫いた本田技研工業創業者