1537年 〜 1598年
70点※
尾張の下層民から滅私奉公と才覚で織田信長の重臣に躍進、弔い合戦で明智光秀を討ち、柴田勝家と信長の息子を滅ぼして天下統一を果たすも織田家から奪った天下を徳川家康に奪われた戦国下克上の出世頭
1539年 〜 1599年
父長宗我部国親の遺志を継いで土佐を平定し本能寺の変に乗じて四国統一を果した智勇兼備の名将だが、豊臣秀吉に屈して土佐以外の所領を没収され後嗣盛親が関ヶ原合戦・大坂陣に敗れ滅亡
1540年 〜 1629年
勇み足で島津家久に敗れ放逐されるも肥後相良家の兵法指南役に返咲いたタイ捨流創始者、上泉信綱門下筆頭「兵法天下一」を公称し柳生宗矩に決闘を挑むが徳川家康の「天下二分の誓約」で断念
1546年 〜 1614年
伊達氏から独立し謀略を駆使して出羽国人を切従え、関ヶ原の戦いで上杉景勝を撃退し山形藩57万石に躍進した羽州探題の名門大名、愚孫最上義俊が家臣団の総スカンを喰い改易に処された(最上騒動)
1548年 〜 1610年
武田信玄・豊臣秀吉も羨んだ「徳川四天王」最強武将
1584年 〜 1645年
我流の度胸剣法で京流吉岡憲法・巌流佐々木小次郎ら60余の兵法者を倒して円明流(二天一流)を興し晩年『五輪書』を著した血闘者、意外に世渡り上手で本多忠刻・小笠原忠真・細川忠利に仕え養子の宮本伊織は豊前小倉藩の筆頭家老・4千石に栄進
1432年 〜 1486年
60点※
江戸城を拠点に東奔西走し古河公方足利成氏を降して関東管領上杉氏に勝利をもたらしたが(享徳の乱)、下克上を恐れる主君に謀殺された戦国初期関東の最高実力者
1477年 〜 1529年
日明・朝鮮貿易を牛耳って周防・長門・豊前・筑前・石見・安芸を支配し文化都市山口で栄華を誇った大内氏絶頂期の当主、挙兵上洛して室町幕府を掌握するが尼子経久の台頭で撤退、陶晴賢の謀反で嫡子義隆が滅ぼされ遺領は晴賢を討った毛利元就が奪取
1477年 〜 1555年
若狭・丹後・加賀・近江・美濃・京都と命の限り戦い磐石の越前朝倉王国を築いた猛将
1491年 〜 1561年
上野守護代長尾氏を滅ぼして西上野を掌握し、山内上杉氏を承継した上杉謙信に属して北条氏康・武田信玄の猛攻を凌ぎ切った「上州の猛虎」、自らの死で謙信の関東侵出は頓挫し後嗣の長野憲業は信玄の猛攻に晒され滅亡