1815年 〜 1871年
80点※
大老井伊直弼の暗殺で中央政局から離脱するも佐賀藩の富国強兵と洋式軍備導入に専念し、戊辰戦争が起ると幕末最強の最新兵器を投入し「薩長土肥」に滑り込んだ開明的専制君主
1817年 〜 1887年
兄島津斉彬の公武合体運動を引継ぎ文久のクーデターを断行するが将軍徳川慶喜と決裂し討幕に踏切った薩摩藩の大御所、西郷隆盛に嫌悪され寺田屋騒動で家臣を誅殺したが大久保利通・小松帯刀を駆使した明治維新の立役者
1824年 〜 1869年
木戸孝允の招聘で長州藩に出仕し適塾仕込みの洋式兵学と武器輸入で近代的軍隊を創建、浜田城制圧や上野彰義隊との戦争を指揮し維新後は徴兵制・近代的国軍建設を進めたが暴漢に襲われ横死した「日本陸軍の創始者」
1835年 〜 1870年
島津久光・門閥とのパイプ役として大久保利通・西郷隆盛を後援し幕末薩摩藩の挙藩体制を支えた名宰相
1835年 〜 1885年
後藤象二郎に重宝され土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握、維新後独立し大久保利通の保護政策と台湾出兵・西南戦争の特需に乗じて「三菱海上王国」を現出させたが大隈重信に肩入れし薩摩閥との激闘の渦中に憤死した三菱財閥の創始者
1840年 〜 1864年
吉田松蔭の妹文を娶った松下村塾の筆頭門人で長州藩尊攘派のエース、松蔭の「草莽崛起論」を受継ぎ「破約攘夷」で中央政局をリードしたが八月十八日政変で突如瓦解し禁門の変で戦死、長州藩は朝敵にされ窮地に陥る
1776年 〜 1849年
70点※
島津重豪の尻拭いを果し薩摩を幕末屈指の富裕藩へ押上げた維新の功労者
1800年 〜 1860年
会沢正志斎・藤田東湖の水戸学・尊皇攘夷論を実践し幕末維新の幕を開いた過激な「水戸烈侯」、将軍継嗣問題で大老井伊直弼に敗れ悲嘆死したが七男の徳川慶喜が悲願の将軍位を掴み嫡流の水戸家と共に最高位の公爵を受爵
1823年 〜 1864年
藩主毛利敬親の信任を得て保守佐幕派を抑えつつ、木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞ら吉田松蔭門下生を支援した長州正義派の執政
1828年 〜 1864年
有職故実マニアから攘夷運動に入り前時代的な異装で奇人視された福岡浪士、『尊攘英断録』で堂々と討幕を主張し有馬新七や吉村寅太郎を扇動し「大和行幸」に加担するが生野の変に敗れ京都六角獄舎で惨殺