1835年 〜 1867年
70点※
土佐藩を脱藩して勝海舟に師事するが神戸海軍操練所の閉鎖に伴い薩摩藩の庇護下に入り亀山社中・薩長同盟に貢献、土佐藩に戻って大政奉還を差配し「世界の海援隊」を夢見たが暗殺された幕末一の人気者
1835年 〜 1869年
武蔵多摩の農民ながら近藤勇と共に幕府浪士組に身を投じ京都の尊攘派志士を戦慄させた新撰組「鬼の副長」、新撰組壊滅後も戊辰戦争を戦い抜き武士の意気地を示して函館に散った佐幕派志士のヒーロー
1837年 〜 1891年
久坂玄瑞・武市半平太らに担がれ朝廷の「破約攘夷」を牽引した過激公卿、八月十八日政変で「七卿落ち」するが尊攘派志士の大義名分として長州藩の討幕運動を支え明治政府の最高位に栄達
1823年 〜 1899年
60点※
西郷隆盛に長州宥和を促し徳川慶喜に絶対恭順を説いて江戸城無血開城を果した開明派幕臣にして坂本龍馬の師匠、明治政府の高官に列すも距離を置き徳川家と旧幕臣の救済に余生を捧ぐ
1825年 〜 1883年
大久保利通の盟友として薩摩藩の朝廷工作を担い王政復古・討幕の密勅・辞官納地を成功させた豪腕公卿、王政復古の大号令で朝廷から世襲制を排除し自ら太政官の最高位に就いたが公家優遇に固執し立憲制・自由民権運動に反対
1745年 〜 1833年
50点※
「蘭癖」と豪奢で藩財政を破綻させたが曾孫の島津斉彬を薫陶し雄藩薩摩への道を開いた破天荒大名
1828年 〜 1890年
島津久光の文久の改革で幕政を握るも徳川慶喜の暴走を許し公武合体に挫折、徳川家擁護で「薩長土肥」入りを逃したが横井小楠を招き福井藩で民主主義を育んだ「四賢候」
1815年 〜 1862年
40点※
「譜代筆頭」彦根藩主として幕政に乗込み「魔王」長野主膳の暗躍で大老に就き安政五ヶ国条約の無勅許調印と徳川家茂の将軍就任を強行、安政の大獄で反抗勢力を大弾圧したが桜田門外の変で横死し尊攘運動・幕府不要論が勃興
1825年 〜 1862年
島津久光・大久保利通の挙藩一致方針に逆らい続け平野国臣の扇動に乗って討幕運動を激発し寺田屋騒動で誅殺された薩摩藩急進派の首領
1837年 〜 1913年
大老井伊直弼に14代将軍就任を阻まれたが島津久光の文久の改革で幕政を掌握、長州征討を強行するもまさかの完敗で薩摩藩は薩長同盟へ鞍替え、大政奉還で体制温存を図り辞官納地を拒否しながら土壇場で恭順へ転じた最後の将軍