昔も今も下関は朝鮮人の渡航口。日露戦争直後に関釜連絡船が開通し、戦後の空白期間を経て町井久之(朝鮮系ヤクザ・民団の重鎮)が関釜フェリー創設。柳川次郎も下関で家族と別れ「殺しの軍団」柳川組を興した由。
陸軍長州閥の領袖ながら政友会総裁に納まって首相に上り詰めたが、張作霖爆殺事件で昭和天皇と陸軍中堅幕僚の板挟みとなった「おらが首相」