出雲神話は記紀の創作とされてきたが、荒神谷遺跡の出現で(1983年~)天孫族に抹殺された王国の存在が俄然現実味を帯び、古代史浪漫ルネッサンス到来(私見)。日本書紀に曰く…新羅ソシモリに天下ったスサノオは息子イソタケル(稲荷神)を伴って出雲国鳥上に降立ちヤマタノオロチ(斐伊川か)を退治してイヅモの国造りを果すが、娘婿オオクニヌシが天孫族に圧迫され国譲りを受忍…。祟りが怖い大和朝廷は東大寺大仏・平安京大極殿より高く聳える出雲大社を奉り(雲太・和二・京三)、スサノオを祇園神社・オオクニヌシ(原始ヤマト王と錯綜)を大神神社に封印。中世に至って出雲国は近江源氏京極氏の管国となり、分家から出た尼子経久が周防大内氏と中国地方を二分する大勢力へ発展するが、諸共に毛利元就に呑込まれ、堀尾氏、京極氏を経て、越前松平家の分家が松江藩18万石で入封。方や石見国は大内氏の勢力圏だったが、博多商人 神谷寿貞(神屋宗湛の祖父)が灰吹法を導入し石見銀山を興したことにより熾烈な争奪戦が勃発、尼子氏、続いて毛利氏の躍進を支えた後、徳川幕府直轄の銀山奉行が置かれ天領・石見銀山領となった(産出量減少に伴い代官所に格下げ)。島根観光の目玉は出雲大社、大量の銅剣・銅鐸を展示する古代出雲歴史博物館も必訪で、出雲神話に現れる稲佐の浜や日御碕神社も近い。が、出雲大社-出雲市駅-出出雲空港-出松江間の交通アクセスが非常に悪いのが大問題。天守閣の国宝入りで松江城が人気だが、松江繁華街・宍道湖周辺も含めた一体的な観光開発が不十分な印象(島根県は鳥取県に次ぐ人口少数県で制約はあろうが、貴重な観光資源がもったいない…)。方や玉造温泉・石見銀山・津和野もなかなかの観光地、他にはスサノオ系史跡群・月山富田城跡(風雲児尼子経久の痕跡)・荒神谷遺跡・温泉津温泉・美保関などがあるが、いずれも僻遠・交通不便で、満足感には個人差ありそう。
出雲大社
私評

雲太・和二・京三…東大寺大仏・平安京大極殿より高く聳える出雲大社は、出雲の国譲りで滅亡したイヅモ王の社。実在のスサノオ・イヅモ王家を隠すため象徴的なオオクニヌシを仕立てたか、本殿奥の聖域に素鵞社(そがのやしろ)が鎮座する。南正面でなく何故か西向きの御神座と本殿西遥拝場、尋常でない大きさ(13m・5.2t)かつ掛け方が普通の神社と逆の大しめ縄 、十九社(神無月に全国から集う神々の宿舎)など、出雲大社は不思議だらけ。野見宿禰神社(相撲の神)、社家通り、出雲教北島国造館(南北朝時代に出雲国造も千家氏と北島氏に分裂。明治維新で出雲大社宮司は千家氏に一本化され、北島氏は別宗教を創始)も見ておきたい。