山形城跡

山形は最上義光が築いた57万石の城下町(伊達政宗の毒母義姫の兄。実は伊達家を凌ぐ羽州探題の名門にして東北の謀略王)。が、義光が蒔いた家督争いの芽が最上騒動へ発展し孫の代で改易、山形領は譜代小藩に分割され、特段の史跡も独自文化も形成されないまま普通の田舎町に落着(領主層の地元愛不足の故か、譜代領は並べて没個性で街も人も味気ない。もちろん地元民の満足感は別、あくまで観光地としての感想)。他では新庄(奥羽列藩同盟から官軍へ寝返るも捨石にされ、新徴組を擁する庄内軍に惨敗)、天童(二藩だけ残った織田信長末裔大名の一つ。戊辰戦争で庄内藩に襲われ藩主一家が逃亡)、米沢(家祖上杉謙信を誇る上杉家15万石の城下町)など歴史的興味をそそる地はあるが、新幹線開通まで「陸の孤島」だった経緯もあり、全国区の史跡は無く、景勝地も繁華街も乏しい。個人的に再訪したい地を挙げるなら、山寺の桜・紅葉と上山温泉くらい、むしろ歴史の厚みがある日本海沿いの庄内藩領に興味をひかれる(実際には大した見所は無いが…庄内藩は酒井忠次嫡流・彦根藩井伊家と並ぶ譜代筆頭の名門で鶴岡はその城下町。酒田は北前船交易の要衝で「日本一の豪商」本間家は庄内藩のスポンサー)。とはいえ山形県は日本屈指のフルーツ王国、春はイチゴ、初夏は桃とサクランボ、秋はブドウにリンゴ、冬は柿にミカンと、四季の切れ間なく果物が旬を迎えるので、割切ってフルーツ狩りを軸に旅設計するのが良いかも知れない。

私評

再訪なし

山形は最上義光が築いた57万石の城下町だが、実際は江戸幕府初期に滅亡し譜代小藩による分割統治が幕末まで続いたため、最上家の痕跡は何も残っていない。山形城跡は変哲ない城址公園で、最上義光騎馬像と若干の復元遺構があるのみ。「最上義光歴史館」の名に惹かれるが、ハコモノ行政の産物で中身は乏しい(最上家は滅亡したため、そもそも残っている資料が少ない)。

詳細

この場所に関係のある人物

山形城跡