平等院鳳凰堂・鳳翔館

邪馬台国は魏志の当て字で(魏人は台をタイとは言わないだろう)、普通に考えればヤマト国が自然。原始ヤマト王朝の纏向遺跡は出雲系と考えられるが(大神神社は王族の墳墓か)、あるいは卑弥呼の居住地で箸墓古墳は彼女の墓かも知れない。ともかくこの地に崇神(=神武?)の三輪王朝が成立し、応神の河内王朝を経て、5世紀に泊瀬朝倉宮(桜井市か)に拠る雄略天皇が日本統一戦争を遂行、継体王朝前後の内戦を経て、6世紀半ばに現皇統に続く欽明王朝が開かれた。都を飛鳥へ移し王権が安定すると中央豪族間の主導権争いへ移行、大伴氏・物部氏の没落を経て、大化改新=クーデターで蘇我氏(+聖徳太子)を倒した藤原氏の一人勝ちとなり、母系血族で天皇を取込み朝廷を壟断する「藤原王朝」が20世紀の敗戦まで続くこととなる。さて、平安京遷都後の平城京と大和国は、藤原氏の氏寺興福寺の牙城となり、僧兵を束ねる筒井氏が戦国大名へ台頭、宿敵松永久秀の自滅で大和統一を果すも不祥事続きで筒井氏もまた自滅し、大和豊臣家(秀長流)の断絶を経て、大和国は譜代大名等の小藩に分割され輝きを失った。有り余る歴史資源を抱えながら奈良県は「陸の孤島」に地位に甘んじ、廃仏毀釈・興福寺壊滅の悪影響も甚大。三都ブームで京都から観光客が流れても冬眠状態から抜けられず、人口当たり宿泊施設数は未だに全国最下位レベル、奈良市街でさえ店選びに困るほど食文化も乏しい。とはいえ、近鉄線のお陰で奈良旅行はお手軽になり、観光環境も整いつつある(改めて思うに、奈良は今のままが良いのかも…)。

私評

推奨

平等院鳳凰堂はユニークで美しいが、ミュージアム鳳翔館こそ推奨したい。特に雲中供養菩薩像26躯(国宝)は類例が無いもので、藤原頼通が求めた極楽浄土のイメージが分かる。

詳細

この場所に関係のある人物

平等院鳳凰堂・鳳翔館