播磨の赤松氏(根拠地姫路)と但馬の山名氏(同出石)は、共に室町幕府四職を占める名門守護大名にして因縁のライバル。南北朝合一に活躍した山名氏は11ヵ国を領有し「六分一殿」と称されるも、将軍足利義満の変心粛清に抗い明徳の乱で没落。方や赤松氏も将軍足利義教の横暴に抗い嘉吉の乱(将軍殺し)で一旦滅亡し、鎮圧軍を率いた山名宗全が台頭するも今度は応仁の乱で衰退。方や赤松氏は長禄の変(南朝王殺しと神器奪回)で播磨守護に返り咲くが、功臣の浦上氏に下剋上を許し、備前・播磨・美作を制した浦上村宗が上洛軍を興すも大物崩れで討死。播磨国は赤松家臣の割拠状態となるが、小寺家の家老で姫路城代の黒田官兵衛が織田信長・豊臣秀吉を導き入れ地元勢力は一掃される結末となった。一方の山名氏はドル箱の生野銀山を擁し辛うじて但馬国・伯耆国を保つが、山名祐豊が尼子経久に領土を奪われ織田に投降、が明智光秀を裏切って毛利に靡き命脈を絶たれた。かくして播磨国・但馬国は譜代等小藩に分割され個性を失うが、徳川家康が督姫・池田輝政夫妻のために天下普請で豪壮な姫路城を創建し、池田家移封後は千姫(徳川秀忠息女・豊臣秀頼未亡人)を射止めた忠勝流本多氏が姫路城に栄転し千姫の化粧料(持参金)10万石をもって化粧櫓・西の丸を増改築、400年の時を経ても姫路城跡には国宝天守と多くの遺構が現存し兵庫観光の大黒柱となっている。他では、幕末開港で発展した神戸はユニークな繁華街と若干の史跡を擁し、有馬温泉は関西随一の温泉地、六甲山の裏側には少女歌劇の聖地 宝塚もある。但馬には生野銀山・篠山・出石・竹田城など見応えある観光地が点在するが、山間僻地ゆえ交通・宿泊・食事には相当の我慢が要る。
白鶴酒造資料館・菊正宗酒造記念館
私評

灘は日本一の酒造地域、その大立者が嘉納財閥で、本家菊正宗も分家白鶴も健在。講道館柔道で有名な嘉納治五郎はその御曹司で生誕地碑あり、実は灘校の実質創立者でもあるらしい。灘地域は意外に広いが、白鶴酒造資料館と菊正宗酒造記念館が徒歩圏にあるので観光に便利。電車旅には厳しいが、灘五郷酒蔵めぐりも一興。