東海道の往来客で賑わった豊川稲荷は、日本三大稲荷ながら神社でなく曹洞寺院。本尊ダキニ天はインド由来で人肉を喰らう夜叉女(帰依した家康も黒魔術を?)。食事処も人出も伏見稲荷の超小型版といった印象。
ねねの甥で豊臣秀吉の養子となるが秀頼誕生で五大老小早川隆景に入嗣、関ヶ原合戦の寝返りで徳川家康に勝利を献上し備前岡山藩55万石に栄転するも僅か2年後に21歳で発狂死し無嗣改易となった精神薄弱児