鳥取市街・鳥取城跡

手前勝手な選考で恐縮ながら、鳥取県の著名人ゼロに愕然…。したがって鳥取県には全国区の郷土史・史跡が乏しいうえ、県人口は全国最下位(隣の島根県が次点)で観光開発もままならず…。後醍醐天皇を隠岐脱出から支えた名和長年の後、但馬山名氏の分家が因幡国・伯耆国それぞれの守護に就くも内紛で成長できず、尼子経久の山陰制覇、毛利元就の中国制覇、山中鹿助の尼子再興、鳥取城の飢え殺しを経て、池田輝政(徳川家康女婿)の子孫・岡山藩31万石の分家が幕末まで鳥取藩32万石を受継いだ。鳥取は古代の上国で江戸時代は大藩の城下町ながら今や日本一の閑散県都で(私見)、鳥取城跡もささやかな城址公園があるのみ。鳥取砂丘は往年の人気観光地だが、大方が抱く広大な砂漠のイメージには程遠く、白兎海岸なども含め依然として観光開発が未熟(私見)。他には、三朝温泉・倉吉の街並み・霊峰大山・皆生温泉などが有名だが、総じて鳥取旅行の動因は見つけ難い。中国系等の混雑や全国均一の原宿化は嫌だが、観光地はやはり人が居てこそと思い知らされる。

私評

再訪なし

鳥取市は鳥取藩池田家32万石の城下町だが、今や日本一の閑散県都、大藩の名残は何も無い(カニが名物)。鳥取城跡は、市街地から歩くに遠く交通不便。ささやかな城址公園で見所は無いが、豊臣秀吉による「飢え殺し」の現場、吉川経家像には手を合せたい(あって良かった)。

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