摂津国は神武天皇の上陸を阻んだナガスネヒコ以来の瀬戸内水運の要衝で、淀川を通じて平安京とも結節(藤原純友も平安京への遡上侵入を企図)。戦国時代に入ると、石山本願寺の興隆を境に上町台地から大阪湾へ広がる巨大低湿地帯の干拓が進み、南方では堺が戦国大名の軍需(皮革・鉄砲・硝石・鉛・糧食…)を受け貿易都市へ発展。織田信長による堺および石山本願寺の征服、豊臣秀吉の大坂城建設と大阪陣を経て、徳川幕府直轄・大坂城代の監督のもと堂島米市場周辺に諸藩の蔵屋敷が立並び、大坂は「天下の台所」、大坂商人(三都商人)は蔵米取引と大名貸で幕府・諸藩の経済を握る巨大勢力となった。明治維新で大坂は大阪となり、蔵屋敷撤廃・銀立取引廃止・外国商横行で大混乱に陥るも、大商人と五代友厚らの奮闘で商都再構築に成功、東京遷都後も今日に至るまで大阪は巨大経済圏を維持し、企業家と大企業を輩出し続けている。しかし一方で大阪は、ヤクザ・在日・人権利権と行政汚職・芸能人優位思想と勤労忌避・知的水準=社会階層の世襲化・貧困と犯罪など、沈みゆく日本社会を象徴する問題が山積。町を壊す多文化共生とインバウンドは程々にして(『くいしんぼ』は「日本全県味巡り」で、コリアンタウンを大阪の味に選択…)、古き良き商人文化・食い倒れの町の復活を願って止まない。
堂島米市場跡・中之島
私評

堂島米市場は税(年貢米)を通貨に換える米本位経済の中枢で、世界に先駆けて先物取引を創始。中ノ島の高層ビル群は西新宿に匹敵するスカイスクレイパー、広大な公園に洒落た飲食店も備え「水の都大阪」を体感できる(ライトアップもあり)。中央公会堂・日銀大阪支店などレトロ建築も見所。