越後国(新潟県)の歴史は「国府」上越市(政治都市)と「国津」新潟市(港湾商業都市)が分立する形で進行し、現在もなお両地域の分断が鮮明(在来線特急で2時間、感覚的に渋谷の方が近い)。新潟市は、戦国期には上杉景勝に反逆した新発田重家・揚北衆の前線基地となり、江戸時代には小藩興廃の乱脈に晒されつつも西回り航路の要港として発展、幕末の開港地に選ばれ近代都市への道を開いた。江戸時代の新潟エリアの政治の中心は譜代名門牧野氏が睨みを効かす長岡藩7.4万石、長岡戦争の河合継之助や真珠湾攻撃の山本五十六が輩出している。一方の上越市は、上杉景勝の会津移封で歴史的役割を終え、政治機能は越後高田藩10万石へ移転。高田藩は、城郭も石高も越後国最大ながら、松平忠輝(徳川家康六男)以来の左遷コースとなってしまい、最後は遊廓で蕩尽した榊原政岑(将軍吉宗の質素倹約に抗った徳川宗春の朋友)で終幕。新潟県観光としては、長岡・新潟市(+寺泊など日本海岸、あるいは佐渡渡航も)から新発田・村上へ足を伸ばす上越新幹線コースが基本で、長野・金沢旅行のついでに上越へ立寄る北陸新幹線コースもあり。新潟-上越間の移動は、遠い上に見所が少ないので、お勧めしない。
新潟市街
私評

新潟は金沢と並ぶ裏日本最大の繁華街、観光地臭が無いのが心地良く、鍋茶屋通・古町通・萬代橋など街歩きも一興。ただし、夏の花火は大したことないので期待禁物。繁華街は駅から遠いので、宿選びに御注意。